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Home away from Home

27歳の時に家を買った。

「女3界に家無し」というが、私は気付くとやすやすとその慣用句を乗り越えていた。

当時私は国際特許事務所に勤める、プロフェッショナルな特許事務員で、

法律と英語のスキルを駆使して、バリバリ正社員で働いていた。

 

もちろん婚約者が居て、彼は5歳年上の弁理士であり、弁護士でもある、

事務所でもトップの存在だった。ハンサムで背が高くて、高収入。

私達は、誰もが認める、理想のカップルと言われていた。

 

しかし。皮肉なことに、自分の寄って立つところの土台となる家族は、

滅茶苦茶な状態だった。

 

アル中で、家で暴れ叫んでふすまを蹴破る父親から、母親は避難して、

別居生活を送り、姉は東京で男性問題を抱えて病んでおり、そして私はそんな家族から

這う這うの体で逃げ出すように一人暮らしをしていた。といっても、ほとんど婚約者の家に

入り浸っていたのだが。通い妻として。

 

事務所には、住所を隠していた。離散した一家の出自である、公営住宅に住んでいることに

していたが、実際は違う場所に住んでいた。

実家の家族関係がギスギスすればするほど、私は婚約者にのめり込んでいき、また仕事は早朝から深夜まで

没頭していた。

 

そんなある日。私の家に母親が訪ねてきた。折り入ってお願いがあるという。

私は、父親に泣かされる母が嫌いだったから、話をするつもりはなかったが、

母の語らせるままにしておくと、

「実は、家を買いたいんだ」と言う。

そのマンションは、新築で、高級マンションで、大阪の閑静な住宅街の一等地にある素晴らしいロケーションで、

公園も近いという。そこに一家で引っ越そうというのだ。

但し。

ローンが組めないと。

借金まみれだった父親に対して、銀行は冷たかった。カードの使い方などを見て、

ブラック認定されていた父親では、筆頭債務者になれないのだと。

私が筆頭債務者になれば、私はそれまでカードなど作ったこともなかったし、

社会的にも身綺麗で、私と父親の共有名義にすれば、そこに家族のユートピアが出来上がるのだと。

 

「何てこと言うの!?」

 

私は、反射的に、そう叫んでいた。

私には婚約者が居て、仕事もあって、将来のこともある。4500万円もするローンをどうやって

35年で返していけというのだ。その上父親だ。父親の顔を見るくらいなら死んだほうがましと

仕事と婚約者に没頭していた私。断じて出来ない。ハッキリと断った。

 

それから母親の私の家への訪問ラッシュが始まった。姉が病気で東京から帰ってきて、どうしようもないという。

姉は、混乱して阿鼻叫喚の私たちの家庭の最大の犠牲者だった。姉の青春は、父親との格闘だった。

その姉が、病を受けて東京から帰ってきて、助けを求めている。

 

既に両親にも紹介済みの婚約者。彼の元に逃げ込むように結婚すれば、この家族から逃れられる。

そう思っていた。

 

しかし。

 

病んだ家庭をほったらかしにして、寄って立つ土台がグラグラなまま嫁いで、果たして幸せになれるだろうか。

そんな思いもあった。

 

「少し時間をちょうだい」

 

そして家を下見に行った。エントランスからして、荘厳な美術館のような造りで、壁面は全て外国製の手刷りレンガだ。

家の中も、全てドイツ製のしつらえ。白と黒のスクエアなモノトーンの、モダンでモダンでモダンな造り。

78平米で4500万円。不動産の我が家の担当が、私なら筆頭債務者になれる、と言っているのだという。

何度も何度も足を運んで、遂に決めた。

 

「ここを我が家の病院にしよう」。

 

ここにさえ住んでいれば。こんな美しい家に住めば。「病める家族、病める姉」も「快復」するのではないか。

遂にそんな考えが頭をもたげてきたのは、母から筆頭債務者になって欲しいと頼まれてから実に半年が経過した頃だった。

 

婚約者とは別れた。彼は、頻繁に家族の問題を口にする私に、常に嫉妬をしていた。

彼自身、天涯孤独をもって自称する人間だったので、家族のしがらみにとらわれる私の気持ちは、

彼には理解できなかったのだ。

 

それから10余年。父親と暮らすことに戦慄し続ける私は、仕事も辞め、アル中になり、うつ病になり、

そして薬物中毒者になり果てた。皮肉なことに、奇跡的に病とトラブルから回復した姉と入れ替わりに。

 

あのとき。彼の手も、姉の手も、みんなの手を握って、みんなで手をつないで、一緒にやっていく方法が

あったのではないか。やろうとさえ思えば、できたのではないか。そんな想いを、西日の射すバルコニーで

煙草をくゆらせながらつらつら思ってみたりする。夕焼けを見て、ああ今日も一日が終わる。明日もまた

朝から冷凍庫からキンと冷えたウォッカを取り出してぐいぐい飲むのか。

また同じ、病める家族とともにある苦痛にさいなまれる日が始まるのか。

 

人生に「もしも」は無い。ましてや、何かの映画で観た「開けてみなければ中身のわからないチョコレートの箱」でもなかった。

ただ進むしかない、一本の道があるだけだった。たとえそれが荒ぶる深海であっても、険しい山道であっても。

 

姉はまた家を出て行った。もう戻る気は無いという。私は、年内に上京する予定だ。わたしたちの苦しんだ家は、今売却手続き中である。

 

全ては空の空である。

 

 

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