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神様と私

私はクリスチャンである。といっても、元々自分の家族全員がクリスチャンで、

幼少期からキリスト教に慣れ親しんできた流れで洗礼を受けたわけではない。

29歳のとき、手酷い失恋をした。

またしても妻子ある男性との不倫の恋で、彼には愛人が居て、愛人に子供が出来て、

さらに私も愛人にして、私にも子供を作ろうとし、結局は全く別の女性のところに去っていった。

そのことが直接の原因だが、混乱した家庭に育った私は、

そのとき既に完全に自分の世界が崩壊し、自己破壊の衝動が止まらなくなり、

這うようにして精神科に行き、以来ずっと重篤な精神病と付き合っている。

 

洗礼は、30歳のときに受けた。地元のしごく伝統的なカソリック教会でであった。

叔母が、熱心なカソリック教徒であった。

早くに亡くなった叔母のお葬式は、その教会で執り行われた。

ただ私がカソリックの教会に通い始めたのは、哲学好きの父親に連れられて、

小学生のときに世田谷のカソリック教会に通ったのが最初だった。

だから、教会や聖書、日曜学校にはあまり先入観は無かった。

 

不倫の恋がきっかけではあったが、仕事も恋も失って精神的支柱が欲しかったので、

教会に居場所とよすがを求めて熱心に通った。

自然に聖書入門講座にも通い始め、1年で洗礼を受けるに至った。

 

ところで神と私の関係である。

日曜日には大体教会に行き、聖書のみことばを聴き、

そのときどきで個人的な祈りを天にまします父に捧げている。

けれど。

 

ただ、ひとつだけ思うことがある。

それは、神は人を通じて働かれる、もっと言うとこちらに働きかけてくるということだ。

人は生きていく上で、さまざまな傷を受け、試練を受ける。

なぜか。

それは、神が人と人との関係の上にましまし、だれしもがその人間の中に持っている「神の領域」を通じて、

魂の修行をさせ、鍛錬して人を成熟に導くためだ。

誰の心の中にも、たとえクリスチャンであろうがなかろうが、「神の部分」を持っていると思う。

それは、いたわりの心であったり、単純に自然を見て美しいと思う心であったりする。

 

私は、初対面の人や、傷ついた人、そして家族、愛犬に対しても、そのひとの中にある、

「かみさまのこころ」に向って語り掛ける。

そして、ポスティングの神様も大阪に存在する。

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